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無間書房

血潮吹く感傷と100万回死ぬ言葉。 無間書房は、火の国熊本発の文芸同人サークルです。

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よく考えてみると、「賢者の石」って何なんだろう

我々が「賢者の石」という言葉を聞いたとき、パッと連想するのはやはりJ・K・ローリング作『ハリー・ポッターと賢者の石』の存在ではないでしょうか。私も小学生の時に読んだのですが、今考えるとよくあの分厚い本を読む気になれたなと感じます。それだけ面白かったということでしょうか。
 
 さて、話を元に戻します。『ハリー・ポッターと賢者の石』の中ではもちろん「賢者の石」が登場しますよね。どんな金属も黄金へと変え、飲めば不老不死になるという水を錬成できるという、夢のような石です。調べてみたところ、この「賢者の石」というモチーフはどうやらオリジナルではないようです。

 Wikipediaによると
 “一般によく知られた賢者の石は卑金属を金などの貴金属に変えたり、人間を不老不死にすることができるという。霊薬としてのエリクサーと同様のものとして考えられることもある。 ”
 “12世紀にイスラム科学からの錬金術が輸入されると、ヨーロッパでは賢者の石の探求熱が高まった。 ”
 とのことでした。
 
 ※ちなみにエリクサーとは、飲むと不老不死になる薬のこと。そういえばエリクシールってよくゲームの回復系アイテムとして登場しますよね!

 『ハリー・ポッターと賢者の石』は、英国の原作だと「Harry Potter and the Philosopher's Stone 」というタイトルになっています。「賢者の石= Philosopher's Stone 」という訳ですね。しかしながら、なんとアメリカ版ではこのタイトルが変えられています。その名も「Harry Potter and the Sorcerer's Stone 」。「賢者の石」は Sorcerer's Stoneと訳されていますね。

 ヨーロッパに属するイギリスでは、 Philosopherという単語には錬金術師(魔術師)という意味が含まれますが、アメリカでは単に哲学者を指すだけなのだとか。そのため、 Sorcerer(魔術師)という単語に変えられたそうです。同じ英語でも単語のニュアンスが異なるものなんですね。

 さらに、「他の言語ではどうなんだろう?」と気になったのでちょっと調べてみました。

 ・フランス語… Harry Potter à l’École des Sorciers
 ・ドイツ語… Harry Potter und der Stein der Weisen
 ・イタリア語… Harry Potter e la pietra filosofale

 フランス語のSorciersは、アメリカ版と同じく魔術師を指します。ドイツ語のWeisenは知恵有る者、つまり賢者という意味です。(因みにドイツ語ではder Stein der Weisenを、謎を解く鍵という意味でも使います)イタリア語のfilosofaleはどうも哲学者を主として指すようです。現題からの直訳なのでしょうか。

 日本語の題名が外国語ではどのように訳されているのかを調べるのも面白そうですね。
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タキシード仮面は天使だった!?

 文学とはあまり関係のない話なので恐縮ですが……。

 最近、何かとセーラームーンが話題になっていますよね。20周年記念として様々なグッズが発売され、またリメイク作品である「セーラームーンcrystal」の放送も始まっています。(私もしっかりチェックしました)

 そこで私が考えたのは、「タキシード仮面はどうして赤いバラを投げるのだろう?」ということです。過去に薔薇に関するエピソードがあったみたいですが、ここで問題にしているのは「なぜ薔薇なのか?」という点について。テレビアニメの方では去り際に投げるだけではなく、敵に薔薇を投げつけることで相手を怯ませることもあります。そこで私はピン!と来たのです。

 『これ、ファウストで見たことある!』と。(またまたファウストを引き合いに出してすみません……)
(前回の記事→最近読んだ本(香川ゆとり)


 ファウストの最後のシーン。ファウストを地獄に引きずり込もうとする悪魔に対し、天使が無数の薔薇の花を投げ落とします。これにより、悪魔は身悶えして苦しみます。というのも、キリスト教にとって薔薇の花は聖母マリアの象徴、引いては愛の象徴であるのです。

 ちなみに、「薔薇=愛の象徴」というイメージは、おそらくギリシャ神話に起因するものだと考えられます。愛と美の女神アフロディーテが生まれた際、彼女の誕生を祝福して薔薇の花が生み出されました。このお話が現代にまで影響を与えているとは、いかに神話の力が偉大であるかということが分かりますね。

 この考え方でいくと、「タキシード仮面=天使」ということになってしまいますが、見た目だけで行くとむしろ悪魔っぽい…なんて考えてしまいますよね。そもそも、現代では神話やキリスト教を抜きにしても、その花言葉のお蔭か「薔薇の花=愛する人へのプレゼント」というイメージがあるので、あまり深い意味はないのかもしれないですね。




自動販売機のはなし


ごきげん如何ですか。この原稿を書いているのは7月13日の深夜なのですが、未だ梅雨は明けておりません。この原稿がブログに載るころには、明けているでしょうか。雷が鳴り始めたら梅雨は明けると、母から聞いたことがありますが、本当でしょうか。もし本当なら、昨夜は激しい雷雨でしたので、梅雨明けも近いのかもしれません。
今日は自動販売機の話をしたいと思います。


 自動販売機が好きだ。夜間にこうこうと、光っているあの自動販売機が好きだ。暑い日も、寒い日も、雨の日も風の日も、いつでも立っていてくれる、自動販売機が好きだ。

 なぜ好きかって、それはとても言いにくい。ただただ好きなのだ。でも、それじゃあ伝わらないだろうから、思いつく限り理由を挙げることにする。

 まず、夜中も早朝も変わらず働いていてくれる。夜遅くまで作業をして、ちょっと休憩しようとしたときに、飲み物の冷たさや温かさをキープしてスタンバイしていてくれるあの嬉しさ。真夜中も過ぎてふらふらと帰途についたときに、どこもかしこも電燈を消して暗い中でひとりこうこうと光っているあのけなげさ。しかも飲み物を提供して、帰ってからの楽しみまで与えてくれるのである。徹夜明けの眠い早朝、自動販売機が持ってくれている温かい飲み物や冷たい飲み物が、心を安らがせてくれる。

 次に、ぽつんとたっている姿がいい。頼もしいというか、落ち着かせるというか、なんだか嬉しさを感じさせる姿なのだ。まわりに店屋がない場所で、ぽつんとたっていたら、ああ、私は今200円持っている、あの自動販売機で飲み物を買うことができるんだ、そんな嬉しさをしみじみと感じるのだ。

 上記で、自動販売機がぽつんとたっている姿がいいと述べたが、人が多く集まる場所で自動販売機がずらりと並ぶさまも壮観だと思う。様々な飲み物、同じ飲み物がずらりと並んでいたり、緑茶でも伊右衛門と綾鷹とお~いお茶が同時に売られていたりする。私は、どの飲み物を買おうかと、幸福に悩むのである。

 私は自動販売機で飲み物を買うのが好きなのだ。ちゃりちゃりちゃり、と小銭(この小銭、というのも、幼い日に親からもらったお小遣いを思い出して嬉しくなるものである。)を入れ、悩んで選んだ飲み物を示すボタンを押し、がこがこん、と飲み物が出てくる。この一連の流れが好きなのだ。しかも温かかったり冷たかったりするのだ。

 私は自動販売機が好きだ。そして、私は自分でお茶を淹れるという選択肢があるにも関わらず、今日も自動販売機で飲み物を買ってしまうのだ。お財布が軽くなる。でも、私は自動販売機が好きなのだ。


 おつきあいいただきましてありがとうございました。ところで皆様、第15週(7月7日~7月12日)放送分の「花子とアン」は御覧になりまして? わたくしは、今週はうとうとしていることが多く、あまりしっかりとは視聴できませんでした。しかしながら、花子と村岡印刷さんがやっと心が通じあったようで、ほっとしました。明日からは、またいろいろな壁を乗り越えていく花子と蓮さまを見守っていきたいです。


ブログやってます。主に愚痴を書いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/mitsuki_tomato




自殺の探求ーウェルテルとKと先生ー

自殺者が多いからこの国の将来を憂えるとか、そういうのじゃないけど、さすがに一年間に三万人も自殺していたら気になる。僕はスクールカーストで言えば結構下の方にいて、学校から逃げ出したいと思ったことは何度もあったけれど、人生から逃げ出したいと思ったことはなかった。高校を卒業してからは、何かから逃げ出したいと思うこともほとんど無い。


 最近、『若きウェルテルの悩み』を読んだ。『ファウスト』と並んで、ゲーテの代名詞と言うべき作品である。(ちなみに、『ファウスト』については当ブログでゆとりさんが書いているので、読んでみると面白いかもしれない→「最近読んだ本(香川ゆとり)」)

 ウェルテルを読んでみたところで、人が自殺する理由はわからない。端的に言えば、彼は恋に破れて死んだ。……といえばゲーテやウェルテル、そしてゲーテ愛好家は怒るかもしれないけれども。

 「恋に破れた」ということが死の直接的な理由ではなく、もっと微妙な感情があるのかもしれない。それは僕にも伝わってくるのだが、やっぱり端的に言えば「恋に破れた」としか言いようがない。

 僕は特筆するくらい恋に破れた経験がない。だから、ウェルテルが死んでしまった理由がわからないのかもしれな。漱石の『こころ』を読んでも、Kが死んだ理由はわからない。僕は、俗を捨てて生きようと思ったことは一度もない。先生が死んだ理由もわからない。僕なら奥さんにさっさと頼ってしまうと思うので、葛藤の生まれようがない。

 しかし、ただ、なんとなくなら分かる。小説の中の人物が死ぬ理由なら、なんとなく分かる。

 けれども、僕らは実際に自殺した人の意見を聞くことができない。当たり前だけど、小説は、自殺した人には書けない。自殺した人が書いた作品も、その人が自殺する前に書いたものだから、これではいけない。自殺寸前まで、自殺をしないという選択肢が残っていたのだから、それは自殺した人の言葉ではない。自殺しそうな人の言葉である。


 話は変わるけれど、僕は自殺と文学には深い繋がりがあると信じている。というか、小説のテーマなんて大体は生死と恋愛についてだと思っている。この二つの匂いがしない作品はほとんど無いと言って良い。まあ、ちょっと極論すぎるかもしれないけれど。

 「自殺」というのはもちろん二つのテーマのうち「生死」に関わるものなんだけど、多くの場合「恋愛」も関わってくるようにお思われる。ウェルテルもKも先生も恋愛によって自殺する。心中という言葉があるが、彼らは一人では死にきれなくて、恋愛の対象者を道連れにする。


 まとまりが無くなってしまったけれども、つまり僕はとっても自殺に興味がある。そして、文学を勉強しているから、文学から自殺についての何かを読み取ってみたいのだ。

 自殺についての書物(文学作品や文芸書でなくても構いません)をお知りの方は、是非僕に教えてください。Twitterにリプライください!仲良くしましょう!!


Twitter:@ATOHSaaa
    Mail:atohslit1113@gmail.com




はじめまして

襲い来る猛暑の中、はじめましての投稿です。
好きな食べ物は炭水化物、麦おこわと申します。


文学フリマにて出品予定の雑誌「lazurite」の表紙デザインを担当することになりました。
企画者の篠原君に声を掛けて頂き、このたび無間書房に参加する運びとなりました。
大学内の文芸サークルに所属していた頃、部員の描いた小説をまとめた冊子の表紙を描いていたのですが、サークルを引退後は表紙を担当することも無くなり、気楽さを感じていた半面で寂しい思いがありました。

そんな中、今回のお話を持ちかけて頂いて嬉しさでいっぱいです。ありがたや~。

雑誌の「顔」とも言われる表紙。

収録された作品の魅力を表現できるような、そして、できるだけたくさんの人に手に取ってもらえるような……

そんな感じのデザインを目指しながら、度々フリーズを引き起こすPCとともに奮闘中です。


文章を書くことについては不慣れなのですが、雑誌の発行に携わる貴重な機会。何か原稿を書いた方が良いものかと頭を悩ませています。

雑誌に掲載する作品は小説でもエッセイでも論評でも、基本的になんでもござれということなので、気軽に挑戦できるかなあ。

今のところ「お気に入りのボールペン」について紹介するミニコラム的なものが案として浮かんでいるのですが駄目ですか?編集長?駄目ですか?


それから、グッズ!

文房具なんかのグッズを作って、フリマに持って行ってもいいよというお言葉(言質とも言う)を頂いたので、色々作ってみたいと考えております。

メモ帳やしおり等々ありますが、一番気になっているのはブックカバーです。

どんな紙を使おうか?何の絵を描こうか?色は?柄は?妄想がみるみる膨らんでいきます。


文学フリマについては以前から興味をそそられていたのですが、都会の遠さを思いつつ、参加は半ば諦めかけていました。

まさか、まさか出品側として参加する機会が来るなんて!

憧れの文学フリマ、初めての参加ゆえ至らない点も多々あるかもしれませんが、出店が確定した際には、ほんのりと応援して頂ければ嬉しい限りでございます。