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無間書房

血潮吹く感傷と100万回死ぬ言葉。 無間書房は、火の国熊本発の文芸同人サークルです。

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名古屋はええよ!マジマの名古屋食べ歩き漫遊記

お久しぶりです、無間書房のマジマです!

私事ではございますが、先日名古屋へ二泊三日の旅行に出かけて参りました☆色々と観光地を巡ったのですが、その過程で、名古屋の美味しい食べ物も沢山堪能してきました!

今回は、それらの美味しい名古屋食を写真とともに簡単に紹介したいと思います。ぜひぜひ、お付き合いくださいませー
※深夜帯に読むことを強くオススメします(=゚ω゚)ノ

わらじとんかつ

早速出ました、名古屋名物味噌カツ!
お店は矢場とん名古屋駅エスカ店さん。ボリューミーな量と濃いめの味付け、さらにご飯のおかわり自由も手伝って白飯が進む進む!20分ほど並びましたが、並んでる間に注文を聞いて料理を作ってくれるのでストレスはほとんど感じませんでした☆〜(ゝ。∂)

親子味噌煮込みうどん

一日目の夕食は、これまた名古屋名物味噌煮込みうどん!
お店は山本屋本店エスカ店さん。これも味噌カツ同様濃いめの味付けで、ビールとの相性が抜群でした!コシのある麺もさることながら、しっかり味の染みた鶏肉も非常に美味しかったです(((o(*゚▽゚*)o)))

大正カレー丼

こちらは二日目のブランチ、お店はCurry&Cafeかのんさん。小倉トーストを食べに行こうとのことで向かったお店だったのですが、私がこのカレーに一目惚れし、つい注文してしまいました(≧∇≦)
味は想定以上の遥か上!私の二十余年の人生の中で最も美味しいカレーでした。これを食べるためだけに名古屋に行ってもいいくらい!

とんちゃん焼き

二日目の夕食は、豚のホルモンを味噌ダレで香ばしく焼いたとんちゃん焼き!
お店はやぶ屋大須店さん。大衆的な居酒屋と言った感じのお店で、とんちゃん焼きの他にも赤味噌出し巻きや、味噌タンなど様々な名古屋風居酒屋メニューを味わうことができましたd(^_^o)
この日は日中の疲れもあいまって、お酒が本当に美味しかったなあ……

名古屋ならではセット

三日目の朝食にして名古屋最後の食事はやっぱり名古屋名物で〆!天むす&きしめんのセットメニュー(*^_^*)

お店は中部国際空港内の、ダイニングショップかめりあさん。まずは空港ということで眺めが素晴らしい、味も美味しく感じられるというものです。きしめんも天むすも美味しかったのですが、個人的な好みはどっちかてーと、きしめん!癖になる食感でした☆

以上、マジマの名古屋食べ歩き漫遊記でした!次回は東京か北海道かはたまた海外か、あるかどうかもそもそもわかりませんが、もしありましたらその際はまたよろしくお願いします


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「狂気」のおはなし

はい、僕の担当は二回目になりますね、マジマです

「狂気」なんてのは、文芸を嗜む人間にとって非常に便利の良い要素だったりします

「恐怖」にもなるし、「笑い」にもなる。時には「感動」の威力を増すエッセンスと化したり、なんてことも
まあ、その分扱いは難しいものです。実力のない人間が安易に用いると、意図した要素と正反対に読者に作用してしまう、なんてのはザラに起こり得ること

文芸に対する「劇薬」。「狂気」というものを私が比喩するとしたら、そんな表現になります

そんな「狂気」、昨今では「個性」として好意的に利用されていることが多いように、自分には見受けられます
貴方の周りに、「自分は正常だ」と認識していながら奇異な所作を行う、そんな方はいらっしゃらないでしょうか?
もしいらっしゃらないのでしたら、インターネットの世界を少し散歩してみてください。書店で、音楽雑誌を捲ってみるのもいいでしょう
SNSでは、明けても暮れても、文法が破綻していたりする狂気的な文章が星の数ほど呟かれていますし、音楽雑誌に「独特の世界観」なんて煽り文句が乗らない日はありません
極めて正常な人間がファッショナブルに異常性、「狂気」を用いる。「ファッション狂気」とでも名付けるべきこの風潮は、我々の生きる現代日本社会に確実に存在しているのです
まあ、僕は正常な人間ですが

ただし、ボクは決してこの風潮が悪いと言っているわけではありません。それどころか、良い風潮なのではないかとさえ思っています
僕は正常な人間なのですが、「狂気」というのは、万人が簡単に纏うことができます
「運動は得意ではない」、「頭も悪い」、「これといった特技なんてない」
そんな人間でも、ちょっと「狂気」を纏うことで「他人と違う自分」というものを手に入れることができます

「他人と違う」ということは自信になり得るし、生きる理由にもなり得る
それをごくごく容易に手に入れることのできる「狂気」は、自殺だ、新型鬱だ、などと騒がれている現代において、手軽な清涼剤として機能する可能性も大いにあるのではないか
そのように、ワタシには感じられるのです
もちろん、僕はこれ以上ないくらい正常な人間です

しかしながら、冒頭でも述べたように「狂気」というのは劇薬です。それはなにも文芸に限った話ではなく、個性においても同様のことが言えます
あまりにも多くの「狂気」を纏い過ぎる、「ファッション狂気」の度が過ぎると、他人から精神病の一種、つまりは本当に「狂人」だと認識されてしまうかもしれません
一旦他人に「狂人」の烙印を押されてしまったが最後、「私は正常だ」などという訴えはなんの効力も及ぼさないでしょう。むしろ、「狂人」の要素を強める方向に作用してしまうかもしれませんね
必要のない治療を受け、健康な身体には有毒でしかない薬を投与され、いつしか本当の「狂人」と化してしまう。。。
それはそうと、僕は正常な人間です

もしかすると、そんなことが起こり得るかもしれません、おそろしや、おそろしや
僕は正常な人間ですよ?もちろん

そんな訳で、「ファッション狂気」で個性を得るのもほどほどに
僕は正常な人間でした

そう、僕は正常な人間です
そして僕も正常な人間なんです
だから僕は正常な人間というわけです

要するに、僕は正常な人間ということです


「夢」のおはなし

はじめまして、マジマです。今回の担当は僕になります、頑張ります

さて、人の憂き世には、聞いても一文の得にもならない話というものが三つございます
「親戚の自慢話」、「高額宝くじが当選した場合の使い道」、そして「昨日見た夢の話」
前者ふたつは本当に毒にも薬にも成り得ない、どうしようもない話ですが、「昨日見た夢の話」。こいつは時たま、非常に興味深い科学変化を起こすことがあります

今回は、そんなお話

何の得にもなりゃしませんが、お付き合い頂ければ幸いです

「夢」。よくよく考えてみれば、非常にオモシロイ事象だと思いませんか?
「ソコ」で巻き起こる出来事は実に奇想天外
現実空間にはおおよそ存在し得ないような生き物が悠々と闊歩していたり、お亡くなりになっていたはずの親戚一同が客席で正座していたり、生身で空を飛んだり

なにより興味深いのは、夢を観ている当人は、そんな珍妙不可思議な出来事に「何の違和感も抱かない」ということ
人が死のうが部屋が爆破されようが妖精が舞おうが、まったくもっておかまいなし
それを当たり前の「日常」として受け入れさせてしまう、そんな力が「夢」にはあるのです

ところで「明晰夢」というものを御存知でしょうか?所謂、「自分はいま、夢を見ている」と知覚することのできる夢です

この「明晰夢」、果たして本当に夢なのでしょうか

「夢の中で自分が死んでも、目が覚めたら実際に死んでいないのは何故か?」
これ厳密には、夢の中で自分が死ぬようなシチュエーションに陥ったとしても、「死んだ」と知覚する前に目を覚ましてしまうから、だそうです
もし、「その瞬間」まで目が覚めず、夢の中で死んでしまったら――――その人間の脳は「自分が死んだ」と思い込み、身体の機能を停止させてしまうのだとか

つまり、夢の中であろうとも、現実と同じく「死」は「死」なわけです
ただし夢の中においては、本当に死まで辿り着いてしまわぬよう、「直前で目が覚める」というストッパーを掛けてくれている
イヤア、人間の身体ってよくできてますねえ

しかし、これが「明晰夢」ならどうでしょう

自分が夢の中にいるということが知覚されている状態。この状態で果たして「ストッパー」は掛かってくれるのでしょうか
ちょっと考えにくくありませんか?夢の中で死をギリギリで逃れて目が覚める時って、「ハッ! 夢か」ってなるでしょ?
このときばかりは命の手綱が自分に握らされている、僕にはそういう風に思えるんですよねえ

つまり、「夢」とはそれを「夢」と認識していないからこそ「夢」であり、「夢」を「夢」と認識しているなら、それはまごうことなき「現実」である
そんなことが夢に関して言えるんじゃないでしょうか

貴方が今後もし明晰夢を見るようなことがある場合。その時はなんとかして早めに目を覚ますか、なるべく死に向かわないように行動するべきです、さもないと

ホントにしんじゃうかも

いやはや、オソロシイオソロシイ
そんなちょっとホラーチックな一面があるからこそ、人は何の得にもならない夢の話を他人にしたがるし、そして、なんだかんだ聞いてしまうのでしょうナァ