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無間書房

血潮吹く感傷と100万回死ぬ言葉。 無間書房は、火の国熊本発の文芸同人サークルです。

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「狂気」のおはなし

はい、僕の担当は二回目になりますね、マジマです

「狂気」なんてのは、文芸を嗜む人間にとって非常に便利の良い要素だったりします

「恐怖」にもなるし、「笑い」にもなる。時には「感動」の威力を増すエッセンスと化したり、なんてことも
まあ、その分扱いは難しいものです。実力のない人間が安易に用いると、意図した要素と正反対に読者に作用してしまう、なんてのはザラに起こり得ること

文芸に対する「劇薬」。「狂気」というものを私が比喩するとしたら、そんな表現になります

そんな「狂気」、昨今では「個性」として好意的に利用されていることが多いように、自分には見受けられます
貴方の周りに、「自分は正常だ」と認識していながら奇異な所作を行う、そんな方はいらっしゃらないでしょうか?
もしいらっしゃらないのでしたら、インターネットの世界を少し散歩してみてください。書店で、音楽雑誌を捲ってみるのもいいでしょう
SNSでは、明けても暮れても、文法が破綻していたりする狂気的な文章が星の数ほど呟かれていますし、音楽雑誌に「独特の世界観」なんて煽り文句が乗らない日はありません
極めて正常な人間がファッショナブルに異常性、「狂気」を用いる。「ファッション狂気」とでも名付けるべきこの風潮は、我々の生きる現代日本社会に確実に存在しているのです
まあ、僕は正常な人間ですが

ただし、ボクは決してこの風潮が悪いと言っているわけではありません。それどころか、良い風潮なのではないかとさえ思っています
僕は正常な人間なのですが、「狂気」というのは、万人が簡単に纏うことができます
「運動は得意ではない」、「頭も悪い」、「これといった特技なんてない」
そんな人間でも、ちょっと「狂気」を纏うことで「他人と違う自分」というものを手に入れることができます

「他人と違う」ということは自信になり得るし、生きる理由にもなり得る
それをごくごく容易に手に入れることのできる「狂気」は、自殺だ、新型鬱だ、などと騒がれている現代において、手軽な清涼剤として機能する可能性も大いにあるのではないか
そのように、ワタシには感じられるのです
もちろん、僕はこれ以上ないくらい正常な人間です

しかしながら、冒頭でも述べたように「狂気」というのは劇薬です。それはなにも文芸に限った話ではなく、個性においても同様のことが言えます
あまりにも多くの「狂気」を纏い過ぎる、「ファッション狂気」の度が過ぎると、他人から精神病の一種、つまりは本当に「狂人」だと認識されてしまうかもしれません
一旦他人に「狂人」の烙印を押されてしまったが最後、「私は正常だ」などという訴えはなんの効力も及ぼさないでしょう。むしろ、「狂人」の要素を強める方向に作用してしまうかもしれませんね
必要のない治療を受け、健康な身体には有毒でしかない薬を投与され、いつしか本当の「狂人」と化してしまう。。。
それはそうと、僕は正常な人間です

もしかすると、そんなことが起こり得るかもしれません、おそろしや、おそろしや
僕は正常な人間ですよ?もちろん

そんな訳で、「ファッション狂気」で個性を得るのもほどほどに
僕は正常な人間でした

そう、僕は正常な人間です
そして僕も正常な人間なんです
だから僕は正常な人間というわけです

要するに、僕は正常な人間ということです

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