忍者ブログ

無間書房

血潮吹く感傷と100万回死ぬ言葉。 無間書房は、火の国熊本発の文芸同人サークルです。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

自殺の探求ーウェルテルとKと先生ー

自殺者が多いからこの国の将来を憂えるとか、そういうのじゃないけど、さすがに一年間に三万人も自殺していたら気になる。僕はスクールカーストで言えば結構下の方にいて、学校から逃げ出したいと思ったことは何度もあったけれど、人生から逃げ出したいと思ったことはなかった。高校を卒業してからは、何かから逃げ出したいと思うこともほとんど無い。


 最近、『若きウェルテルの悩み』を読んだ。『ファウスト』と並んで、ゲーテの代名詞と言うべき作品である。(ちなみに、『ファウスト』については当ブログでゆとりさんが書いているので、読んでみると面白いかもしれない→「最近読んだ本(香川ゆとり)」)

 ウェルテルを読んでみたところで、人が自殺する理由はわからない。端的に言えば、彼は恋に破れて死んだ。……といえばゲーテやウェルテル、そしてゲーテ愛好家は怒るかもしれないけれども。

 「恋に破れた」ということが死の直接的な理由ではなく、もっと微妙な感情があるのかもしれない。それは僕にも伝わってくるのだが、やっぱり端的に言えば「恋に破れた」としか言いようがない。

 僕は特筆するくらい恋に破れた経験がない。だから、ウェルテルが死んでしまった理由がわからないのかもしれな。漱石の『こころ』を読んでも、Kが死んだ理由はわからない。僕は、俗を捨てて生きようと思ったことは一度もない。先生が死んだ理由もわからない。僕なら奥さんにさっさと頼ってしまうと思うので、葛藤の生まれようがない。

 しかし、ただ、なんとなくなら分かる。小説の中の人物が死ぬ理由なら、なんとなく分かる。

 けれども、僕らは実際に自殺した人の意見を聞くことができない。当たり前だけど、小説は、自殺した人には書けない。自殺した人が書いた作品も、その人が自殺する前に書いたものだから、これではいけない。自殺寸前まで、自殺をしないという選択肢が残っていたのだから、それは自殺した人の言葉ではない。自殺しそうな人の言葉である。


 話は変わるけれど、僕は自殺と文学には深い繋がりがあると信じている。というか、小説のテーマなんて大体は生死と恋愛についてだと思っている。この二つの匂いがしない作品はほとんど無いと言って良い。まあ、ちょっと極論すぎるかもしれないけれど。

 「自殺」というのはもちろん二つのテーマのうち「生死」に関わるものなんだけど、多くの場合「恋愛」も関わってくるようにお思われる。ウェルテルもKも先生も恋愛によって自殺する。心中という言葉があるが、彼らは一人では死にきれなくて、恋愛の対象者を道連れにする。


 まとまりが無くなってしまったけれども、つまり僕はとっても自殺に興味がある。そして、文学を勉強しているから、文学から自殺についての何かを読み取ってみたいのだ。

 自殺についての書物(文学作品や文芸書でなくても構いません)をお知りの方は、是非僕に教えてください。Twitterにリプライください!仲良くしましょう!!


Twitter:@ATOHSaaa
    Mail:atohslit1113@gmail.com



PR